オスティアが繁栄した理由はこの都市がローマと属州とが海を通じた交易活動・穀物供給を実践して行く上での中継地であったからである.属州各地からやってくる交易人組合はしばしばその足跡をオスティアに残して行く。モザイクを中心として、当時、地中海世界がパックス・ローマーナ(pax Romana)の下、非常に活発な交易活動を展開していたことを見て行きたい。

以上の三つのモザイクはいずれも交易人組合の事務所を示したものである。属州各地からオスティアへと寄港した交易人はそれぞれの出身地の組合所で手続きを行なうなど様々な業務をこなしていた.また、こうした組合所は様々な意見交換の場でもあったのであろう.これらモザイクを見ても、当時、オスティアには地中海沿岸部の諸都市から様々な人々が交易活動を行うためやってきていたことが分かる.左側のモザイクはナルボネンシス(南仏)からやってきた交易人の組合所である。また、真中の写真は当時、地中海世界において活発な交易活動が展開されていたことをまざまざと見せつけてくれる。そして、右側のモザイクは、ここに事務所を構える交易商人が北アフリカから来たことを示しているのであろうか。おそらくは象牙を交易に携わる商人の組合所であったと思われる。
こうした組合所はケレス神(*五穀豊穣の神.多産や豊作、繁栄の象徴とされた.ギリシアではデメテル神と呼ばれている.)の神殿を取り囲む形で設置されていた。

左のモザイクが組合所の跡。ここは右の画像の円形劇場の向かい側に建てられたケレス神殿の左側に設置されていた。右の画像を見て分かるように、ケレス神殿を左右・裏側に渡って各々の組合所が取り囲む形で設置されている。左の画像の左奥が組合所内部と言うことになる。手前に見えるモザイクは廊下のような所に敷き詰められており、所謂各々の組合所の存在を示す看板のような役割を担っていたものと思われる。尚、ケレス神殿の手前に見える円形劇場は、凡そ、3,500〜4,000人程度は座れたものと思われる。夏季になると現在でもここで古典演劇が実演されている。

ちなみにこれがケレス神である。彼女は蛇を右手に持っているが、キリスト教時代に至るまでの異教時代ではしばしば蛇は悪魔の象徴ではなく、聖なるものの象徴とされていた。
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